2020年03月9日(月)  

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4.Abhijānāti

 「自分が自分を証明すること」。「自証」という意味です。これまでの西洋における論理中心の証明からすれば、ひっくり返るようなことです。ブッダは今から2600年前に生まれ、さまざまな人に説法をおこなったのですが、もしこれが西洋に伝わっていたなら、大きな影響を与えたかもしれません。
 実は西洋の論理主義は真実を語るのかというと、そうでもないのです。「ひとつの説明の仕方」以外の何ものでもありません。なぜなら、論理展開者の自我を防ぐのは困難だからです。そして自分の知らない内に、計らい、意図、そういった自我が論理をコントロールしてしまうのです。
 ところが、西洋の人からすれば「自証」ほど、確証のないふわふわしたものはないと思うでしょう。しかし、人間が進化していくには、ここを避けて通ることはできません。現代の人類に何が決定的に問題なのか、見きわめる時期にきていると言ってよいでしょう。

 abhijānāti は動詞で3人称単数です。前にabhi-という接頭辞がついたものです。abhi-は「〜に対して」という程の意味です。jānāti は「知る」です。1115(15.学生ポーサーラの問い)では 動名詞的用法であるgerundとして abhiññāya が使われています。gerund は「〜して」という意味です。1115の訳は次になります。

彼は無所有という源泉地に到り、「喜びは自分を束縛するものである」と知ります。すなわち自らが自らを証明するのです。その後に自分のいる廻りを自我のない眼で観察します。完成したバラモンはこの真実を知る智があるのです。

自分が自分を証明する 
 今、迷いがある場合、現在の迷いが生じるひとつ前の出来事を思い出し、「その時の情景と自分の思い」を再現します。ただし、判定はしません。さらにその前、さらにその前というように、記憶を戻しながら、一番最初に生まれた出来事まで遡ります。
 すると、迷いは突然消えます。そして自我さえも消えてしまいます。
次にこの源泉地から反対のコースで現在の「自分」に戻ります。すると、いったん消えた迷いがまた生まれます。これにより、先ほどの「消滅」が起こったことの理由を明確につかむのです。


1.はじめに
2.Dhamma
3.Diṭṭha
4.Abhijānāti

 


 


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